朝日新聞 昭和十九年八月三十日ヨリ あくなき野獸性 音樂に見るアメリカ人氣質 門馬 直衞  米國人の殘虐な野獸性は、その音樂にも見られる。特に明らかな例の一つは、K人靈歌といふものである。これは在米のK人が唱つた感傷的で素朴な宗ヘ歌で、日本にも紹介されたはずである。  米國商人が自慢にするものでこれほど純眞な音樂はないといふ。甚しきに至っては、これを樂聖バッハの名曲にも比肩すべきものだといふ。しかし、これほど非人道的な音樂はない。といふのは、これはK人奴隷の哀歌、苦惱の呻きに外ならないのである。  かふいうK人奴隷は、その故郷のアフリカで、『奴隷狩り』によつて縛られたり袋に入れられたりして、無理に『輸入』され、農業資本家に賣りこまれたのである。その數は、十九世紀の中に四百万にも達した。  彼等は、罵られ、鞭打たれ、牛馬以上に追ひ使はれて、綿や砂糖を作ってゐた。その苦痛を愬(うつた)へるには友もなく、その悲しみを分かつべき人もなかつた。  南北戰爭後には、とにかく表面上は解放されたが、K人は決して人間扱ひを受けなかった。かういふK人達、特に無辜の奴隷が自然に歌い出した稚拙な歌、現世では得られないものを來世に願乞する慰めの歌が、靈歌なのである。  『誰も私の苦しみを知らない、イエスの外には誰も知らない』といふ嘆息、「時として私は母もないものと思ふ」といふ孤獨歌、「ジョルダンの彼方に行きたい」といふ歌などは、日本人には涙なしには聞かれないものであるが、米國人には甚だ喜ばしいものとなつてゐる。  それに、その音樂が單純でありながら風變わりなところがあって、たとへば、用ひる音が普通の音階から『ファ』と『シ』を除いた五段音階のものであり、律動には通常の強弱の關係を逆にしたやうなものが目立つてゐるので、本當のいゝ音樂がわからない米國人には氣に入って、何も知らない子供にまで、これをヘへては野獸性を傳へて行くのである。  それどころか、米國人は、その野獸的な惡趣味から、身体全身をKく塗り立てゝK人の眞似をした者がK人の悲惨な生活を茶化した興行物に夢中になったものである。これは、ミンストレルといって、そこでは靈歌に似た歌を?(註:一文字缺落)かせた。日本にも知られた『デキシイ・ランド』などは、かういふミンストレルから流行したものだし、例のフォスタアの低調で感傷的な歌もこれを當てこんだものに他ならないのである。  K人靈歌やミンストレルの歌は今も米國で歌はれているし、その旋律や律動の特徴は米國の國民的音樂と稱するものの素材として專ら盗んだ音樂を堂々と國歌としてゐる盗賊國は米國以外にはない。  かういう野獸共には本當の藝術音樂などがわかるはずがない。米國から一人の世界的な作曲家も指揮者も出てゐないのは、當然のことである。それでも金は余っているのでユダヤ人興行家の宣傳にのつて『世界的音樂家』には接しようとする。  もちろん素々音樂を鑑賞して内的生活を豐かにするのではなくて、遊びに行くのであるから、音樂會には遅刻をするし、會場では騒ぐ。興行家はこれを承知して、音樂を見せ物化し、たとへば、管弦樂は五色の電燈をつけて舞台の下から湧き上がらせたり、演奏家には馬鹿らしい誇張を求めたりする。  トスカニイニの指揮が蠻的な力度を示し、エルマンが少女向きの甘さを出すのは、それがためである。  米國人の野獸性は恐ろしいものがある。ウォーレスは日本人を奴隷とすると?(こう)詔(註:拘招=關心を惹き付けること、の意味?)してゐるさうであるが、もちろんあり得ないことであるが、K人のやうにこき使ひたいのであらうか。(筆者は武蔵野音樂學校ヘ授)